幸せへの地図

より良い人生を送る為のアイデアを掲載

何もしたくない日

 

何もしたくない日が時々ある

 

体調は良く気分も落ちている訳でもなく

天気も良く全て整っているのに

何だか何もしたくない

する気もおきない

 

なら何もしなくて良いじゃないか…

 

しかし、そうはいかない

何故だか『何もしない』という事は

悪いこと、勿体ないこと、無駄なこと

 

こんな風に罪悪感が起こるからだ

 

ならば『何もしない事』に対して

立派な大義名分を付ければ良いと思い

色々と調べてみた

  

『何もしたくない』その原因は

『心の疲れ』又は『脳の疲れ』

いわゆる『精神的な疲れ』らしい

 

肉体的に不調が起きた時は

体を休ませて回復させようとする

これはごく自然に行われる

 

熱が出たり体の何処かが痛い時は

休む事を選んでも大きな罪悪感は無い

 

私の場合は体の不調であっても

休む事は悪い事だという洗脳が強い為

無理をして出勤してしまう

 

しかも『具合悪そうだね…』と

気を使わせる事をさせたくないので

何事もないように乗り切ってしまう

 

肉体的にも無理するくらいなので

精神的と言ったら優先事項からは

遠く離れる事柄である

 

精神的に不調が起きた時に

思考や感情を休ませて回復させる

 

これを怠ると『鬱』等の病を

誘発する事にも繋がるとか

 

肉体の健康管理をする習慣は出来ていた

疲れていると感じた時は

入浴や睡眠、食事に気を使うなど…

 

精神の健康管理はというと

『何もしたくない』が精神のSOSだと

知らなかったくらいだから

殆どケアをしていなかった事になる

  

脳を使い常に考えている状態や

様々な思考により感情を動かす事をやめて

思考や感情の休息日を作る

 

精神の健康管理に大切な事だった

 

だから数年前から

『マインドフルネス(瞑想)』

この類いの書籍が増えたのだろう

 

そこで、ふと思った疑問

『瞑想する』『ボーとする』の違い

について調べてみた

 

諸説あるので決定的な違いが曖昧だが

私的に理解しやすいと思った考え方は

 

『瞑想』→自分の内面に意識を向け観察

『ボーとする』→意識の方向性が異なる

 

同じ『ボーとする』状態でも

意識が自分の内面に向けられていれば

『瞑想』と同じ状態だと認識されるらしい

 

しかし外部の情報を入れている状態

(TVを見ながら、人々を眺めながら)で

『ボーとする』のでは『瞑想』で得られる

効果があまり無いらしい

 ※『~ながら瞑想』を推奨する人もいる』※

  

いずれにしても『何もしたくない』は

精神的に重要な不調のサインだと

理解出来たので

 

『何もしたくない日は』

『何もしない事』が重要だと認識し

『何もしない事』を意識して過ごすように

してみようと思う

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