毒親に育てられた私は
とにかく『社会の常識』を
こだわる洗脳が残っている
『毒親』については
別記事に書いているので
ここではあえて触れないが
この『常識』という洗脳が
最近になってやっと解けてきた
先日『犬の散歩』についての
アンケートを見ていた時のこと
『フン始末』は
飼い主のマナーとして
当たり前なのだが
数年前から『尿始末』も
マナーの1つとして
愛犬家の中で加わっている
ペットボトルに水を入れて
持ち歩き、犬が尿をしたら
それを水で洗い流すのだ
この『尿を水で流す』行為が
賛否両論で考えさせられた
その内容とは
・オシッコまで気を使う
気配りが出来ていて素晴らしい!
・今や水処理は当たり前
・水でオシッコを広げるなんて
迷惑行為。外でオシッコさせるな!
この様に1つの行動で
素晴らしい(◎)
当たり前(△)
最低(X)
こんな正反対の意見まで
登場していた!
この◎~Xまでの意見が
世の中に『常識』として存在する
上の◎△Xが
周りにどれだけ
集まるかによって
『私』という存在が
→気配りが出来る素晴らしい人
→当たり障りのない普通の人
→非常識で最低な人
という感じで
評価が全く変わるという事だ
こう考えると
周囲の人々や環境は
物凄く大事なのかもしれない
自分がどうも上手くいかない
何でこんな風になるのか
そう思った時には
『自分を変える』
『自分を見つめ直す』
そんな意見の書籍が
沢山出回っているが
そんな事をするよりも
『常識がずれてる人といる』
そこに気付き
自分を変えるよりも
周りに置く人や
周りの環境を見直して
自分に良い評価してくれる
そんな『常識』を持った場所で
生活出来れば
悩みや苦労も少なくなるのでは
自分に原因がある
自分を変えよう
そんな努力を続けていたが
こんなに『常識』があるなら
自分の設定している『常識』と
同じ『常識』の中で生きる
この方が簡単な気がする