幸せへの地図

より良い人生を送る為のアイデアを掲載

発達障害と思い込む

 

毒親毒親戚に育てられた子供は

幼い頃から自分に自信がなく

自分が何か変なのかも?と不安を持つ

  

常日頃から

『お前は◯◯なんだから』

『まったく、お前ときたら◯◯だ』

と心を傷付ける言葉を言われ続けると

自分はそうなんだと思い込むようになる

 

しっかりした大人が見たら

 

言っている本人(親や親戚)の方が

変な人だとわかる

 

子供にあんな事を言うなんて

言葉の虐待をする嫌な人だと思う

 

しかし子供側からすれば

自分の身近な血縁者で

一緒に生活している大人が

 

実は世間とずれた感覚の持ち主で

心に余裕が無く、変な育て方をしている

なんて思いもよらないだろう

 

身近な家族が言うのだから

自分がおかしい変な子供なんだ…と

刷り込まれた偏見を受け入れ

 

本当は何処も悪くないのに

『お前は◯◯だ』の◯◯に

思い込みでなっている人もいるように思う

 

そんな人が世の中に出て

ことある事に上手く行かないのは

当たり前なのだ

 

何故なら本当の自分を表現出来ずに

偏見で植付けられた自己評価が

トラウマのように現れ不具合を起こすからだ

 

そうとは知らずに救いを求め

精神科や診療内科で病名をつけられた場合

 

やっぱり私がおかしかったんだ…と

  

自ら障害の烙印を押して生きていくのは

とても悲しい事のように感じる

  

精神科や診療内科等の病院は

他の外科や内科と違い100%の診断では

ないと思う

 

『ー 病名 ー』の疑いがある…と

病名の候補を付けるだろう

 

何らかの病名を付けて

治療や薬の処方をするのが仕事だから

それは仕方がないと思う

 

欠点がない完璧な人間は存在しない

 

世の中全ての人が精神科や診療内科に行けば

もれなく全ての人に何らかの

精神的疾患名や症状の疑いが付くだろう

 

第一、自分が変なのかもしれない

自分のこういう所を何とかしないと

 

と自分を見つめて悩む人は

人間的に 謙虚で優しく真面目な善い人だ

 

本当に大きな異常がある人は

自分が変だと気付いたり悩んだり

する事がないように思う

 

本当は悩む必要がない善い人ほど

外部からの評価を真に受け

トラウマに苦しみ曲がった価値観を認め

自分を窮地に追い込んでいるのではないか

  

自分が自分に悩んでいる時は

一度本当に自分が変なのか疑ってみても

良いように思う

雨の日も花粉症は辛い

 

ようやく合う薬が見つかった

ひとまず安心した

 

薬は副作用が人によって違うので

ここでは銘柄を伏せておく

 

 

症状が酷いと精神も軽く錯乱し

気分もブラックになっていく

やはり心と体は繋がっていると改めて思った

 

今日の私の疑問は

『雨の日の花粉症』についてなのだが

 

周囲の花粉症歴が浅い人(10年未満)や

比較的症状が軽い人、花粉症では無い人は

雨の日になると

『今日は雨だから楽だね』

と言葉をかけてくる

 

私としては今までシーズン中は

雨でも症状は全く変わらない

むしろ少し辛い感じもするくらいだ

 

何故なのか調べてみた

 

私の症状は体内の『ヒスタミン』が

大きく関わっているらしい

 

抗アレルギー、抗ヒスタミンとかの

薬の注意書を目にするが

私は『抗ヒスタミン』の成分が

入っている薬でないと効果が薄い

 

どうやら『ヒスタミン』は気圧の変化で

増減する事があるとか

 

雨の日など気圧が下がるとヒスタミン

体内で多くなるらしい

 

そうすると、花粉自体が少なくても

花粉に過剰に反応するヒスタミンの量が

 

通常よりも体内で増えているので

症状が軽くなる事がないとか

 

他にも疑問に思っていたのが

 

入浴中や後も花粉症の症状が強く出る事だ

 

髪や体の花粉が落ちて症状が和らぎそうだし

入浴が効果的なんて記事も沢山あるのだが

 

実際、私は逆に酷くなるのは何故か?

 

これも調べてみたところ

 

熱いお湯に浸かると

ヒスタミン』が体内で増加するらしい

  

雨の日と同様に、私の場合はヒスタミン

強く花粉症に関係しているらしいので

 

その他大勢の花粉症の皆さんが

 

雨の日は症状が軽い

入浴すると症状が和らぐ

  

等と会話をする真逆の経験をしていたわけだ

 

理由が分かってスッキリした

 

皆が良いと言ってる事が

万人に当てはまるわけでは無い

 

自分の事は自分が一番良くわかるのだから

 

世の中の多数派の情報を鵜呑みにしないよう

気を付けようと思った

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花粉症の薬

 

花粉症歴30年は過ぎた現在

何年繰り返しても慣れないものだ

 

毎年市販される薬の種類は増えるが

これが一番効く!!

という薬に出会えない

 

病院で処方される薬は

全くもって効かない

 

花粉症の症状が酷い時は

副作用はどうでも良いから

とにかく不快な症状の方を

優先して止めて欲しいと個人的に思う

 

昔、花粉症薬の種類が少ない時の市販薬は

 

尋常ではない眠気と喉の乾きに

襲われはしたものの

 

見事な迄に花粉症が引き起こす

不快な症状をしっかり抑えてくれた

 

それが改良(改悪?)され

副作用が減ったぶん

 

花粉症の不快な症状も中途半端に

抑えきれないように感じる

 

今シーズンになって

現在4種類目の薬になるが

 

昔の古いタイプのような

副作用が強い薬に比べたら

本当に嫌になるくらい効果が薄い

 

何十年も昔から毎年発生する『花粉症』

 

年々新しく発症する人が増えるのに

現代医学で完璧に抑えられないとは

可笑しな話だ

 

花粉症が及ぼす経済効果は

◯◯億円規模というから

完治されたら困る◯◯がいるのだろう

 

そんな大人の裏事情があるならば

せめて購入者の立場になって

お試し小袋も販売して頂きたい

 

各社とも千円以上する薬を販売して

飲んだが全く効果なしでも返品保証もない

 

この時期しか使わない薬だし

効果もない薬が家にあっても置き場に困る

   

サンプルとして2日分や3日分で

200円位で売ってくれれば

自分にあった薬を効率よく探せるのに

 

花粉症薬を選ぶ際に…というサイトを見ると

医師や薬剤師の専門家の意見は

 

『症状や体質により

            薬の効果は人それぞれ違う』

 

そう言っている

薬の効果の出方は

人により違うと認識してるわけだ

 

だったら効くか否かの薬を

まとまった日数分の高値にしないで

小分けにしたって良さそうだ

 

ちなみに

2017年の春までは毎年1種類の同じ薬で

しっかり効いていた

 

2018年からこんな効かない騒ぎに

なってしまった

 

先日も同じ花粉症の妹と

 

『花粉だけじゃない何かも混ざってるかも』

PM2.5や黄砂とか』

 

そんな疑いも出る程に

花粉症薬としての効果が疑わしい

 

妹は病院好きなので毎年病院で処方して貰う

 

今年は飲み薬と

ステロイド系の点眼薬を処方されたらしい

 

話は戻るが

花粉症人口が増えた分

苦情を言う人も増えたと思われる

 

薬の成分に大きな変更があったのか…

花粉だけの問題ではないのか…

 

いずれにしても購入する側からすると

症状を抑える事が当たり前の大前提であって

その上で副作用が少ないようにする

 

この順番を間違えられたら困るのだ

 

本当に花粉症の酷さを知ってる人は

副作用の喉の乾きや眠気は我慢するから

この症状を今すぐ抑えて欲しい

 

こう思う私の気持ちを

理解してくれるだろう

 

決して副作用を軽く見ているわけではない

 

その他の重篤な副作用で危険な症状が

出る事もわかっている

 

しかし、そんな事知ったこっちゃないと

言いたくなる位、花粉症の症状が酷い人も

いるのだ

 

と明け方の不快症状に悩まされ

最近睡眠不足でイライラした私の

不満を綴ってみた

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友達の定義とは

 

友達ってなんだろう?

友達と呼ぶ相手とは

どういう間柄なのだろうか?

 

自分は友達だと思っていても

相手は友達と思っていない事もある

勿論その逆もあるだろう

 

『友達』の言葉の意味を調べると

【学校、職場、思想など共有する

同等の仲間の事】だそうで

 

『友』の言葉だけを調べると

【互いに助け合う事】のようだ

 

だとすれば『友達』と呼べる間柄は

【同等の立場で

互いを助け合う気持ちがある者同士】

を言うのだろう

 

ちなみに『知り合い』とは

【互いに顔や名前を知っていて

ある程度の付き合いがある状態の人】

だそうだ

 

一緒に遊んだりするけれど

お互い深入りせずドライな関係の人だと

『知り合い』と呼ぶのが相応しいようだ

 

友達が沢山いると思っていた私の妹は

上記の定義に当てはめると

 

『友達』よりも『知り合い』が多い事に

気が付いた

 

妹は家族ぐるみで遊ぶ仲間がいる

旦那さん同士、奥さん同士、子供同士も

 

自称『友達』である

 

複数の家族で合同の飲み会も

年に数回行われるらしいが

 

遠方から来る友達家族は

毎回どこかの家に泊まる事になる

 

以前、遠方の友達から

「週末飲もうよ(=泊めて)」の連絡が

妹を含むグループに入ったらしい

 

妹は翌日、子供の習い事があるからと断り

他の友達も、我が家では泊められないと

話が流れる方向にあったのだが

 

泊めるのは無理だけど

飲み会はやりたい…

という人達が多かった為に

 

子供の習い事くらいなら

数時間家を空ける程度でしょう?と

 

強引に妹夫妻の家に泊まる事になったとか

 

予定通り飲み会が開かれ泊まった家族…

 

翌朝、子供を習い事に連れていってる間

泊まった家族に留守番をしてもらっていた

 

戻ってみると友達の子供がオモチャを

勝手に引っ張り出して遊んでいたらしく

部屋がごちゃごちゃの状態だった

 

それにもかかわらず

戻ってきた妹をみて

 

『じゃあ、私達帰るね!』

 

と片付けもせず帰ったらしい

 

妹の話に出てくる『友達』とは

毎回こんな感じの変な人達ばかり…

 

そんな人達は、そもそも

『友達』=(同等な立場で互いを助け合う)

では無く『知り合い』だと思う

  

『知り合い』を『友達』と呼ぶから

トラブルも発生するのだろう

 

『友達』と呼びあえる人は

同等な立場で互いを助け合うはずなので

  

裏切ったり騙されたり

不愉快な思いをさせたりしないはず

 

自分さえ楽しければ の表面的な関係は

ただの『知り合い』でしかない

   

友達が多そうに見える人も

実際は『知り合い』ばかりの可能性もある

 

意外と誰もが同じように

友達と呼べる人は少ないのかもしれない

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自分らしさ

 

テレビを部屋から撤去して

ドラマも全く見なくなってから数年

 

流行りの芸能人も話題のアイドルも

すっかり分からなくなっている私

 

本屋には頻繁に足を運ぶので

ついでに目にする雑誌の表紙になってい

る芸能人の顔を見たり

 

会社の同僚や妹から入る情報で

『◯◯は格好いい』『◯◯は可愛い』

と名前が出る人を検索して思う事がある

 

言うほど魅力があるように見えない

 

動かない静止画だからなのか

皆が騒ぐ程では無い気がする

 

これぞマスコミの誘導による洗脳なのか

イケメンや清純派などのイメージを植え付け

 

ドラマや映画の出演でも良いイメージが

乗るような配役を貰っていたり

  

ちょっと整った感じの普通の人達を

物凄いカリスマ的に仕上げて讃え

 

バラエティー番組やニュース番組で

司会者やコメンテーターが発する

台本に書かれた台詞のような

『格好いいよね!』

『うわぁ可愛い!』

『モテるでしょう!』

…観客…きゃぁぁ~🖤…

こんな茶番劇のような持ち上げる様子に

 

テレビを見ている視聴者が

『格好いい』とは『可愛い』とは

この人達だと刷り込まれているのではないか

  

自分を売り込む仕事をする人達は

ありのままの素材に大袈裟なくらいの

魅力を塗り付けられる方が良いかもしれない

 

しかし一般人になると話が違ってくる

 

こんな人になりたい!

 

と外見を変える事は容易く出来るが

 

外見と中身が大きく違っていると

不自然な違和感が見えてきて

魅力が消えてしまう事もある

 

学生時代を思い出すと

 

本来は真面目な人なのに

悪い人に憧れ

悪そうな見た目を装い

悪そうな言葉や態度を真似ていても

 

自分本来が持つ性質が所々で現れ

 

最終的には

あいつは格好だけだから…と馬鹿にされ

結局は仲間から外される

 

そんな人を目にした

 

 

憧れて新キャラを目指すには

役者が演技でなりきるように

中身から変えなくてはボロが出る

 

ボロが出るくらいなら

自分らしさを活かした上で

 

なりたいキャラ設定を研究するほうが

自己改革の成功に近付けると思う

 

以前キャバクラで働いていた知り合いが

話していたが

 

外見だけは格好良くてモテる男と称し

後輩達を引き連れ飲みに来る客がいるが

 

パッとしない後輩をいじって

小馬鹿にしたりする態度や

キャバ嬢達への話し方や対応で

 

本当はモテた事がない男で

優越感に浸ってるだけだとわかるし

不愉快な気分になる

 

そう言っていた

 

男性側から見た場合でも

 

見た目清楚で可愛いらしい女性が

女同士の中で汚い言葉を使っていたり

態度や素振りが乱暴だったりすると

 

とても残念で幻滅した経験があると思う

 

結局は

外見だけを頑張って変えても

いずれは中身が表に露出するという事だ

 

表に出てしまった中身と

外側のギャップが大きくなればなるほど

痛い人になる可能性も大きいという事だ

  

せっかくの新シーズン

新しい自分にチャレンジするなら

 

自分らしさを活かしつつ

外見と共に中身も磨き

ギャップが大きくならないよう

気を付けた方が良いと思う

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1人が好きな人もいる

 

新社会人や新入生等

新しい環境に新しく集う人達

 

親しい仲間と離れ

新たに人間関係を築く事になった人達も

沢山いるだろう

 

昔から『友達100人できるかな』のように

沢山の人達との繋がりを勧める世の中だが

 

中には1人でいたい人もいる

  

ワイワイと大勢で笑い声をあげて

何かの話題で盛り上がる事が

とても楽しいと思う人もいれば

 

何だか疲れた…と思う人もいるのだ

 

共感出来ない人達に合わせて

気を使って疲れるくらいなら

1人でいた方が心が休まりホッとする

 

話かけて貰わないほうが助かる

声をかけないでくれても大丈夫だから…

 

職場で関わる人達とでは特にそう思う

 

人付き合いの煩わしさに翻弄されるより

仕事を淡々とこなし

休憩時間は1人で気楽な時間を過ごしたい

 

会話が出来ないわけではない

会話が嫌いなわけでもない

 

気の合う人達となら楽しめる会話も

気の合わない人達とでは疲れるからだ

 

テレビの話や芸能人の話

異性の話や結婚、子供の話

仕事の不満、人の悪口、美容、健康etc.…

 

会話の内容に共感出来ない事が多く

愛想笑いや相槌を打つ事が増え

仕事の疲労+会話疲れをしてしまうのだ

 

会話をする or 1人でいる

どちらか選べと言われたら

 

私は迷わず1人を選択するだろう

 

沢山の人達とワイワイ話す事が

楽しいと思っている人の中には

 

1人でいる人を見ると

可哀想、寂しそうと思うみたいで

仲間に加えようと親切心を出す人もいる

 

それで救われる思いをする人もいるだろう

 

しかし、ほっといて下さい

と思う人もいると分かって欲しい

 

妹は世話焼きタイプなのだが

1人でいる年下の女の子に

気の毒と思い声をかけたら

 

「ハッキリ言って面倒臭いしウザいです」

と言われた事があるとか

 

ここまで強く言い返すのもどうかと思うが

話かけて欲しくない人は本当に迷惑だったりするのだ

 

  

前記事にも書いたが

孤独死』とか『孤食』という造語

 

どちらも生きる上でデメリットが大きく

悪いことのように煽る記事が多い

 

孤食』についても

1人で食べるよりも会話をしながら

食事する方が美味しさが増すし

健康にも良いと隔たった意見がある

 

過去に私は

会社の付き合いで集まり

気の合わない人や上司と一緒に

高級フグ店で食べた事があるが

 

味なんて全く覚えてないし

その後胃が痛くなった思い出がある

 

要は大勢だからや

孤独だからではなくて

その場、その時の自分の気分、感情が

楽しめるか否かなのではないだろうか

  

何でもかんでも『孤』を悪と決めつけ

仲間を増やす事が最高の幸せのように

推奨している世間をみると

 

何かの陰謀でもあるのだろうかと疑ってしまう

 

人はそれぞれ個々に違いがある

幸せを感じる形も色々あって当然だ

 

独りだろうが集団だろうが

楽しいと思えなければ意味がないと思うし

無理に合わせてもストレスがたまるだけだ

 

技術が進歩し

宇宙へ進出したり

AIが一般化されてきた今

 

人々の考え方も

多勢に無勢のような

昔の思考から進化して

 

個々の違いを尊重できるように

変化してきても良いのではと私は思う

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結婚の必要性

 

20代後半、友人が次々と結婚する中

30前には結婚したいと思う焦りがあり

婚活をした事がある

 

一緒に暮らす人がいれば

1人の寂しさは無いし

頼れる相手がいて

生計も安定して…

 

今思えば都合の良い結婚のイメージ

自分本位の男性像をまだ見ぬ相手に描き

 

結婚していく友人を羨ましく思っていた

 

独身の男性側も結婚さえすれば

掃除してもらえて

洗濯もしてもらえて

温かい食事が用意されていて

 

そんな自分本位の期待があるのでは

 

それは甘い夢物語だと気付いた今

独身で良かったと私は思う

 

結婚すれば『こうして貰える!』と

相手にメリットを期待していたら

不平不満の毎日になるだろう

 

家族を陰で支えて

家族に手料理を作って

家族の為に掃除して

家族が心地よく暮らせるように

『妻や母』をやりたい女性や

 

家族を養って

家族を守って

家族の為にゆとりのある収入を稼いで

そんな『夫や父』をやりたい男性

 

お互いが奉仕を楽しみにする人でないと

どちらか片方、もしくは両方が

ストレスの毎日になるだろう

 

特に女性の場合は

理想がハズレた夫の世話と

プラスされた子供の世話も抱える事になる

 

好きで好きでたまらない相手と

結婚した人や

1人でいる事が

人生最大の苦痛と思う人

 

そんな人達なら理想と現実の違いも

何とか妥協点を探して結婚生活に

喜びを感じる事も出来るだろう

 

しかし独身を焦り、とにかく結婚したいと

頑張って婚活に励み結婚相手を得られても

自分が望んだ結婚生活を得られるかは

自分が持つ相手に対する依存性によって

大きく変わるだろう

  

現在の私が結婚に望む事は

『死ぬまで犬と一緒に暮らしたい』ので

私が先に逝っても残った犬を

愛情持って可愛がってくれて

私より先に死なない人

  

こんな勝手な都合しかない

 

料理、掃除、洗濯は苦ではないが

それは自分自身の物だけに限る

 

1人でいる時間を多くとりたいし

睡眠は1人でないと安眠出来ない

 

こんな自分なので結婚しなくて

本当に良かったと心底思う

結婚していたら相手に不快な思いをさせ

子供が出来たら毒親確実だろう

 

結婚は相手があっての事

自分が良ければでは済まない

  

とは言っても結婚は勢いともいうし

 

私のように色々と考える人は

結婚しないという話を聞いた事がある

 

私は結婚の必要性を見出だせない

現在は独身で良かったと心から思う

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